11.30.2010

ここのところ、Oshoと、ともに。


WITNESSING
Just one quality of the Buddha has to be remembered. He consists only of one quality, witnessing. This small word witnessing contains the whole of spirituality. Witness that you are not the body. Witness that you are not the mind. Witness that you are only a witness. As the witnessing deepens, you start becoming drunk with the divine. That is what is called ecstasy.
Osho


11.29.2010

the death of the mind


Mind is really afraid to come close to anything that can create more awareness. That will be the beginning of the end of the mind. That will be the death of the mind. Osho



11.26.2010

a play of consiousness


A PLAY OF CONSCIOUSNESS
A really mature person cannot be serious, there is nothing to be serious about. The whole of life is fun, it is a play, a play of consciousness. And that's what meditation reveals to you - that the whole of life is a beautiful play of energy.

The same energy is in the trees, in the stars, in the rivers, in the mountains, in you, in animals. It is the same energy dancing in different forms. We in the East have called it 'leela'. Leela means god's play.

Thank you (^^) Osho




11.09.2010

A.H.Almaas

A.H.Almaasのほんの一部を訳していた、とても深く辛くなってくる。
それは、穴の理論について書かれてあるからだ、
私の心の中の穴についてだ。


<穴>は通常、それは、あなたが失ったものへの記憶、
失ったものを思い出す状況の記憶、傷つき、葛藤した記憶がある
あなたのパーソナリティ(人格)の一部によって満たされている。
私たちはその傷の中心に最も深いレベルに行かなければならない、
<穴>それ自体に近づくのだ。そして、何が失われたかの記憶にたどり着く。
失ったものの記憶にたどり着くと、
それによって失われたエッセンス(本質)が再び流れ出す。

ゆえに、深い欠落はそれを成長させる機会となり、
自分自身をさらに理解するに至る、
しかし、人々は通常、自分の欠落感に対する防御が気違いじみている。
この防御のほとんどは<穴>を感じる事を避けることにある。
人々はそれが<穴>だとは気づいていない、欠落感は深い何か、
エッセンス(本質)の損失からくる症状だ。それは取り戻す事が出来る。
心の穴を考える、欠落感は彼らが深いレベルでそうであるかのようであり、
それを超える何かは存在しない。彼らは基本的に何かが間違っていると考える。
無意識にも、心の中の穴は何かが間違っているからだと考える。
そして、人は、心の穴、欠落感を感じないためになら本当に何だってする。
彼らは、心の穴に近づけば飲み込まれると信じている。
もし、彼らのワークがそれを浮かび上がらせるなら、
例えば、愛に対する<穴>、圧倒的な孤独感、
空虚感に脅かされると感じるだろう。
その他の<穴>は壊滅する(滅ばされる)恐れを感じさせる。
何故、それに近づきたくないか理解できる。

しかし、ここでの私たちのワークでは、驚くべきことを体験してきた:
<穴>から身を守ることをやめた時二起こる実際の体験は痛みではなかった。
私たちはシンプルに、エンプティスペース(何もない空間)を体験したのだ。
そこに何もない感覚 — しかし、虚無感に脅かされることのない 
— 容認された大きな空間/a spaciousness an allowing
この大きな空間はエッセンス(本質)が出現することを許し、
それがエッセンスであり、このエッセンスだけが<穴>を、
内側から欠落感を排除する事が出来る。

S「<穴>は怒りとして現れることはありますか?」

AH「そうだ、怒りは欠落の結果として生じる、
特に、<穴>を感じる事に抵抗する防御として現れる。
ほとんどの感覚、ほとんどの感情、具体的にそれらは
自動的に起こる衝動的な強迫観念であり、
<穴>の結果である。そこに<穴>がなければ、そのような感情は生じない。
どのような感情かというと、悲しみ、痛み、嫉妬、怒り、憎しみ、恐怖である。
これらすべては<穴>の結果として生じる。
もし、あなたに<穴>がなければ、このような感情は起こらない。
あなたにはエッセンスだけが備わっている。
ゆえに、このような感情はパッション(情)、または、誤った感情/false feeling
もしくは、見せかけの感情/pseudo-feelingと呼ばれる。

私たちの社会全体が<穴>を埋めるために、
外側から価値を得ることを教えるように設定されている 
— 価値を認めてもらう、愛を、強さを、何であれ外からの —。
私たちは、他人に何かをする事がいかに素晴らしいことだと話す、
または恋をすることが、意義のある職に就くことが — などなどだ。
社会は一般的に、互いの<穴>を埋め合うように取り決められている。
<穴>を埋め合いながら — そのように文明が構築された。
私たちが知っている文明は、誤ったパーソナリティ(人格)の生産物である。
それは誤った人格から生み出され、誤った人格の隠れ家となる。
誤った人格を支え、増進させる。



11.07.2010

荒滝キャンプ場での野外パーティ

Goa や Ibiza を懐かしんで。

パーティにくるやつ達は、いい子もいれば、どこか間延びしたやつもいる。
最近の若者は?もしくは日本の若者は踊らない、夢中で踊っている子は少ない。

踊り場にいてもタバコを片手に間の延びたステップを踏んでいるか、
ビールの缶を片手に友達とだべっているか、あげくの果てに酔ってビールをこぼしまくる。
それなら真ん中にいずに端の方にいればいいものを。

ここはキャンプ場、汚しては行けない自然の中でタバコをぽいと捨てる。
気を利かせてくキャンプファイヤーの火の中に捨てることすら考えない。

遊びも責任を持って遊ぶ事を学ばないと、いつまでたってもただの馬鹿たれ。
主催する人、もっと教えてあげようよ、ね (^^;)