9.23.2011

無意識を観照する

自分の心の動向をじっと観察している、それはそんなに簡単じゃない。一瞬にして外の世界を判断し、どう動くのか決めてしまうか、迷っている。それは無意識に蓄積されたあらゆる体験から計算されるサバイバルなのだ。右を取るか、左を取るか。しかし、行動する前、そして、その判断をする前にとどまっている。とくに、その判断の下にあるもの、もっとプリミティブな世界、それは思考よりも感覚的である。安心していられるか、ざわざわするか。どちらにしても、どちらの感覚にしても、それを見守っている。やがて、それは通り過ぎる。何度も何度も、思考がやってくる度にこれが繰り返される。すると、ある時点で静寂の香りが鼻をくすぐり始めるのに気がつく。ああ、今、此処にいる。しかし、まだ今、此処だ。多少の過去と未来を引きずっている。思考は言葉を発しないが、奥の方ではなにやら会話を続けているようだ。それもまた、観照し続ける。パートナーの目が私をアンカーリングする。2日目の夜に、それは一瞬にして起こった! 参加者全員が一緒に静寂の中に気づきと共に落ちていった。数分、それは続き、そして言葉を発した者から、少しづつ、また、元に戻り始める。その様子も観察している。このような体験は日頃の生活の中でも続けられる。私は続けようと思う。言葉を発する前に、あの静寂を呼び覚まし、一呼吸して、待つ。


この世の草原に私は牛を尋ね果てもなく高い草をかき分ける 
名もない川に従い、遙かな山々の入りくんだ路に迷う 
力尽き、元気も涸れ、求める牛は見つからない 
聞こえるのはただ夜の森に鳴く蝉の声ばかり 

川縁の木々の下に私は足跡を発見する 
かぐわしい草のもとにさえ彼の足跡がある 
人里離れた山奥にも、その足跡は見つかる 
これらの足跡はもう、点を見上げる誰かの鼻の穴より明らかだ



9.21.2011

who is in を終えて

一昨日、和尚庵で3泊4日の<who is inリトリート>を終えて、いろいろな気づきがあった。3日間まるまる自分自身と向き合うので、内なる心の動揺や策略、刷り込みされた頑固なまでの仕組みが見えた。頑固な仕組みは無意識の層に築かれているのがよく分かった。この頑固な仕組みがバウンダリーとなって立ちはだかる。今回、3日間だったけど、これが5日間、7日間だと、もっとブレークスルーすると思う。

アムリッタのセッションから私は私の無意識にとても興味を持ち始めている。公案の最中の出来事、一瞬一瞬の心の動きをはっきりと見て取った。見ているのが苦しいぐらい。その理解が意識にのぼって見れているのは、ほんの一部で、だけど、無意識の中で理解に達していたのを知覚していた。逆にそれほど、観照していたと言える。すごいぞ。who is in を終えても今、まだ、プロセスは続いている、自分という人物についての気づきの連続で驚いている。

昨日、夢を見た、興味深い夢だったのだけど、良く思いだしてみると、私の無意識システムを象徴している内容であった。う〜んっと唸る。私の刷り込みはこのような感じなんだ。そうか、なるほど、納得。この刷り込みをリセットしたい。どんな刷り込みもないところまで。私にとって who is in はどんなセラピーよりも確かだ。








9.12.2011

無意識についてちょっと目から鱗

昨日、アムリッタがヒプノのセッションをしてくれた。
セッション中、私が向き合っていたのは無意識。
アムリッタが丁寧に<無意識>の振る舞いは、単に無駄ではなく、
そこには必然的有効性があると教えてくれた。

うん、なるほど、そういわれてみれば、その通りだ。
でなきゃ、これまで生きて来れなかっただろう。
その角度から見た無意識はちゃんとうまく機能している。
感心した、ちょっと目から鱗な感じ。

同時にほっとした。

無意識と言う用語は一般的にも、どちらかと言うと、
良くないイメージを持っている。
まさに、無意識に「無意識はまったく無能だ!」っと
言う風に私も捉えていたふしがある。

無意識は、内なる民衆の声とでも言おうか、
人類的考えの総合商社とでも言おうか、
体験的理解の引き出しと出も言おうか、
ただ、表面的な意識に上がってこなくても良いものであっても、
その時、自分にとって最大限に必要な反応として現れる。

例え、それが他人から見てばかげた反応であったとしても。
それは、ある理由から必然的反応、行動、行為であろう。
それで、後で思い出してみると、何でそんな反応を!ってことになる。
恥ずかしかったり、自分でも驚いたりで。
しかし、その反応自体がはっきりと明確にものを言っている。

表面的な意識は世間を気にして、悪く言うとつくろう風潮にある。
だけど、無意識は純粋に正直である。
つくろうことが出来ないから発見されないように
意識の届かない層に潜り込むのだ。
だとしたら、私たちは意識より無意識に目を向けるべきだろう。
そこに真実があるのだから。

自分を知るには内なる声に耳を傾ける必要がある。
つくろうために、それを都合良く何か別のものに変えずに、
怖くてもありのままを目撃する。

ちょうど、意識と無意識の混じり合ったところ、
そこを通り抜けるのは一苦労かもしれない。
うまく通り抜けたらピュアーな無意識の層が広がっているのだろうか?
おっ!? それって超意識のことかな? 覚醒のことかな?

ラッキーかな、数日後に控えた
<Who is in リトリート>で私はそれをやってみようと思う。
勇気が湧いてきた、楽しみだ! 今、ちょっと私の無意識に聞いてみた、
おまえは発見されることを楽しみにしているか?

にんまりと微笑んだ私の顔が見えた。

<Who is in 3 day リトリート/9月16日〜19日>
http://awareness-intensive.jp/schedule.html