9.25.2015

Istanbul 空港でのノウガキ


このエリアに流れるゆるやかでかったるい女性ボーカルのBGMが眠気をそそる。関空からインドのデリーに向かう途中である。なぜ、イスタンブールで乗り換えか? は、今は面倒なので後回し。

とにかく、デリー行きの飛行機まで12時間とたっぷりある。この間、街に出てイスタンブールを吸収しようか? … 本当に街に繰り出すのか? … と考えに考えを重ねたが、"面倒" という思いの方が強かった。しばし座って考えたあげくイミグレーションから出て街に向う電車に乗るという考えに腰が立たない。ゆえに!国際線乗り換えエリアに入るバックチェックに向かったのだ。

だが、12時間は長い。飛行機待ちの人がごった返す空気の悪いこの場所で…ふぅ〜…とりあえず、より静かを期待する2階のコーヒーとスナックの店に落ち着いたところなのだ。ここは時間があり過ぎる人がのんびりと時間をやり過ごしているように見受けられる。つまり、私のような人達だ。待ち時間の一番長い人は誰か聞いてみたいものだね。

前の私だったら12時間もあればたくさんのことができると考え、間違いなく街に繰り出していただろう。12時間、見逃すものがないぐらい限られた時間の中で歩き回っただろう。興奮が私に活気を与え、次から次へとやってくるアイディアに身を震わせる。それが私なのだ。

しかし、この頃は"減速" したいと思い始めているのだ。これまではとにかく四方八方360度に手を伸ばそうとしていた。知りたい事が沢山あった。その中で、未だに続けられていることがあるのは幸せである。ひとつの事を続けることの利点は正確さと自信がつくことである。そしてさらにその良いところを明確に洗練させていきたいと思い始めてくるのだ。

それ以外に知った重要な幾つかも、このひとつの中ににどう取り入れていくかに集中力がいり、どうやら私は、今がその時期のようだ。集中するには内に向かわなければならない。集中は莫大なエネルギーが必須であり、私にそんなに余力はあるのだろうか? と思う "この頃" である。しかし、これまでやってきた事の結末というか、最後の締めというか、それはどんな花と実をつけたのかを知るにはやるしかない。

こんなあんなのノウガキたれても…
あ〜‼︎   あと、10時間はたっぷりある!

9.09.2015

愛、最後の課題

今、トルコで行なわれているダイアモンドロゴスという
ワークショップに参加している。
5回に分けての流れの中で自分と向き合うリトリートで前回が2回目。
(*ダイアモンドロゴスについては下に記載。)

2回目を終えてから現在にいたるまで何故か居心地の悪い私が居る。
まぁ、そのへんはいろいろあるがまた書ける時に・・・

で、次の3回目が迫ってきているからドキドキするのと、
微妙な期待もあって、日常生活のなかで自分を見失わないように見張っている感じ。

数日前に私自身のクラニオバイオと言う本業でコースを終えたところ。
最終日はいつもアシスタントさん達と一緒にご苦労様ご飯にいく。
そのとき、私たちはよく自分に起こっていることなど話し合ったりする。

「で、こまちゃんはどぉお?」って聞かれて、
「そうね、ダイアモンドロゴスのプロセスで落ち着きが悪い感じ・・」

みたいなこと言っていたのですが、実は・・・・
その後に、ホテルに戻ってすごい気づきがあったのだ!
(なんか、こんな話しが出来ちゃう友人に感謝、
理絵ちゃん、あやちゃん、きょうこちゃん、ありがとう)



私に足らないもの、喉から、手が出たいぐらいほしいもの、
それは 愛。

近頃、特に、前回の2回目が終わってからですが、
ますます - 私はきっと自分のことしか考えていないのだろうと思い、
自分が嫌いになりかけていたのだ、あきらめに似た感じも伴って・・・

特に母親に対して敏感にリアクションをしてしまう、した後は苦しい。
私もそうかもしれないが、母親も私に対する態度が悪い! 
なんて怒ったりもするが、基本的には自分に対して落ち込む。

でも、私が怒ってリアクションするその一瞬前は
怒ってるんじゃなくて悲しいのだ、
"愛されていないと思い知らされた!" という一撃をうける・・・

ってことは???

悲しいと感じたその瞬間に私は、私の "愛" に触れた・・んだ・・・
その一撃が私の愛に触れたんだ・・・

と言うことは、私に愛がないのではなく、
触れることの出来る愛がそこにあったんだと気づいた。

ああ、私に愛があったんだ、そうか、
よかった・・・あったんだ・・・

すると、妙なもので "悲しい" と知覚した時、
私は、自分の愛に触れているんだと知った。

リアクションするよりもそのことの方が
とっても大事に思えてきた。

きっと、母もそうなんだろう、
彼女自身のリアクションするその一瞬前、
彼女も彼女の愛に触れたんだ・・・

ただ、私たちは触れた愛を理解するほどの器が育っていず、
未体験の大きな何かに飲み込まれることを恐れ、
ついつい、エゴがフリークアウトして真逆のアクションに導かれる
そして、落ち込む・・・何かがおかしい・・・あれ?
なぜ、こうなっちゃう?

その仕組みが分かったような気がする・・・
この理解と一緒に留まっていられるようにと - 祈る私 - がいる。

痛い時、私は、私の愛とともにあり、
その愛のなかに静かに入っていきたいと祈る私がいる






-----------------------------------------------------------------------------










Diamond Logos Teachings


ダイアモンドロゴス
Introduction to the Diamond Logos™ Teachings
ダイアモンドロゴス・ティーチング
Diamond ダイアモンドには精密さ、正確さの質(生来の)があります。Logos ロゴスは言、原初の言であり、要素からなる表現や音調を持ちます。ここでのTeaching  教えは私たちの能力が再びエッセンスとつながることを妨げる心理パターンを理解します。
ダイアモンドロゴスはtrue self(真我)または Being(本質)を取り戻す特殊なプロセスです。この教えを通して偽りのパーソナリティやエゴーアイデンティティを理解し、自己の本質的資質を識別する能力を意識的に育てるにつれて、私たち自身の尊い性質やそのたくさんの現れを認識し始め、ひとつに統合することを学びます。
創始者 Faisal Muqaddam
ファイサル ムクゥアダムダイアモンドロゴス ティーチングスの 創始者 Faisal Muqaddam は A.H.Almaas と共に自己解放のための Diamond Apprach(ダイアモンドアプローチ)を発展させた創始者でもあります。現在、スピリチュアル心理学ティチャーである Faisal 自身の精神世界の旅は1968年から始まり、1973年から教えに専念するに至りました。それ以来、彼のもとにやってくる人々にグループリトリートを行い、中近東、アメリカ、ヨーロッパでは公開トーク、プライベートセッションは40年続けられています。
Faisal は1946年にクゥエートで生まれました。Dr. Phillip Curcuruto によって Reichan Therapist として訓練を受け、また、尊敬する Tarthang Tulku Rinpoche 、Dr. Claudio Naranjo や 中近東のスーフィの教師などからも成長のための異なるシステムについて学びました。現在は、彼自身のプラクティス、そして、それらをカリフォルニアとヨーロッパで教えています。
ダイアモンドロゴス ティーチングの紹介
このワークは ラタイフ Lataif と呼ばれるスーフィーのエネルギ-システムと洞察的なモダンエゴ心理学が統合し、私たちの生来的なEssence(本質)を回復させることを目的とします。
私たちのアプローチは真我 True Self にたどり着くことです。真我は私たち人間の本質的土台ですが社会環境のなかで成長するに従ってそれぞれの個人が何らかの理由で Essence に触れる、直接体験することが難しくなっています。この “何らかの理由” を知ることで私たち自身に深い理解が起こり、自己防衛的なエゴ、人格を確固たるものに仕上げるスーパーエゴによって本当の自分を見失わない真我にたどり着いていきます。
ダイアモンドロゴスのような心理学的様相を持ったワークでは本当の自分を発見していく過程で問題が浮き彫りになっていきます。生来の質である5つの Lataif に取り組み、どのように私たちの Essence がカットオフされたか、または成長しない状況が起こったのかを知ることになります。
Essence はスーフィーのシステム Lataif を参考します。5つのラティファ、White/Red/Green/Black/Yellow です。この5つのラティファは生来の質であり、私たちの自然な状態です。
この生来の質を直接体験することが難しい場合、そこに何らかの理由が存在します。ここでのワークはこれらの本質的資質と能力を取り戻し回復させていきます。 True Self 真我との関係は真のパーソナリティ(人格)を成長させ、その、我が家に帰還する内なる旅の副産物として着実に問題が解決し、偽りのない幸福を感じ始めることができます。
このワークは心理学的なワークに留まらず、深い気づきの状態が起こり続けエンライトメントへの架け橋となるでしょう。どれだけ多くの私たちが “無意識的人格” に悩まされてきたことでしょうか、そして、多くの瞑想者が真我とこの無意識な人格の間を行き来し、開かない扉を前で呆然としていることでしょうか。ダイアモンドロゴスはここに目を向けています。