3.26.2016

私に起こっていること

中国で point of light を受けたもう一人の日本人Hanya と今日、昼ご飯を一緒に食べた。あの後、私は自分に起こっていることに少々困惑し初めていたので、会うなり、「インクワイアリーをしようよ」と尋ねてみた。満席のレストランの外で待っている間、言い出しっぺの私から始まる。

私は自分に起こっている2つのことに気づいている。ひとつは、なんだか、ぼんやりして、自分が自分でない感じ、ある意味、何が何だかわからない。

こう言った精神世界のワークの後、躁鬱的なギャップが起こることは知っている。で、少なかれ、あの興奮の後だからまぁそれもありか、っという程度に観察していたんだ。

もうひとつは、やたらに落ち着き払っている。その落ち着き方ってのがこんな調子。ちょっと面倒だなって思う小さな仕事など、いつもだと、そそくさと手際よくやってしまうのが私だが、ここんところ、こう言った事が起こる。

ちょっとした小さな仕事をする時、いきなり、覚醒する。瞬間的に「おっ…」と思うのだけど、それが起こると、その時間を楽しむ事にした。なにも急ぐ事はないのだ。人生はこの瞬間が一番美味しい。

こんな事を Hanyaに話していると、とんでもない事に気がついた。困惑部分、ぼんやりして自分が自分でない感じがする、と彼女に涙目で訴えていたとき、「はっ!」 と、ある事に気がついたんだ。

私のエゴが形を取れない。言い換えると、エゴが私を形取っている。私が "私" という時、それは私のエゴが自分を指してそう呼ぶ。そのエゴが形を取れなくなってきているようだ、と気づいた。これが私の困惑の原因だと知って唖然とした。

エゴが形をとれない… ってぇ?

だから "自分" がぼんやりとしている、と言う風に感じていたんだと分かった。イメージ的に言うと、私という人物の輪郭がぼやけているという感じ。

こんな事に気づいて、私は、また、ダイアモンド・ロゴスのとんでもない凄さに嗚咽してしまった。知らぬ間にこんな風にワークされていたなんて、凄すぎる!  Faisal ( DLT の創始者 ) の顔が浮かんだ。

実際、なんやかんや言っても、私は諦めていたんだとまたまた思い知らされた。自分には絶対起こるはずがないと。何が起こるのか、起こらないのか、その実態もわからないままに。

エゴがこんな風に輪郭を無くすなんて、そして、いずれ、消えるかもしれないと知った。私は、エゴが無くなるなんてありえへんやろう、と信じきっていた、と思う。だって、それは " 私" なんだから。私が、無くなるなんて、ありえへんやろ。

中国の Point of light の2日目、欠けていたパズルに何かがスポッとはまった体験に至極興奮していた。見当たらなかったピースがあの瞬間、収まった。扉に鍵が差し込まれカッチャと音がしたのだ。

別にどうこうするわけでないが、開いた扉は今も開いたままにしてある。何か、特別な事が起こるわけでもなく、また、扉の中に入って行くわけでもない。ただ、開かれたままであると知っている。

そして、私は今日、もうひとつの事に気づいた。それは…

もうすでに、崖から突き落とされていた。それに気づいたとき、マスターの影がちらっと見えた。 恐れもないけど、抵抗する術もない。ただ、また、涙が浮かんだ。

私はこのふたつのことをそのままにしておく事にした。ひとつは、扉は開いたままである。そして、もうひとつは、すでに崖から突き落とされていた。私はどこかに落ちていくのである。

エゴが形を取れなくなっていくのなら、きっと、留まろうとする者もいなくなっていくんだろう。それを見ていることにした。




3.14.2016

自分への旅


私は who is in 公案を使った瞑想リトリートをけっこう続けている。
今や、ファシリテーターとなっているぐらいに。


この瞑想は本当に即効性がある。


しかし、とても禅的なアプローチ故に、
核心にたどり着くのは至難の技である。


例え、そのすぐ近くにいたとしても、本人が気づかない。
何故なら、"何" を探しているのか知らないのである。


何かあるんだろうと言う霊妙的感覚だけが
それを突き動かしているのだ。


だが、たどり着こうとする場所も、
色も、味も、匂いも、Unknown なままである。


だからと言って、たどり着いたら終わりでもない。
"体験の中にい続ける" と言うのが正しい説明かもしれない。


考えるのではなく、"体験" を体験し続けることに留まるのである。
ここが、その入り口であり、始まりとなる。


核心にたどり着くのは至難の技であると言ったにも関わらず、
私は、この瞑想は即効性があると言った。


そこが嬉しいところだ。


"それ" が起こるとき、一瞬にして起こる。
まるで、ワープしたように、扉が、突然に開くのだ。


突然、あなたはその場所にいる…
そして、そのことに気づく。




分からないままにも、この技法を数日続ける。
使われる技法はアクティブ瞑想と公案。


アクティブ瞑想は体を浄化し、
ある種のエネルギーの通りを良くする。


公案は心理的 (感情、思考) の様相を見続け、
それから自分が切り離されていくのを観察し続ける。


ビッパッサナは無言で観照する。


公案はビパッサナは違い、自分に起こっているありとあらゆる
 (考え、気持ち、感覚) について公言しながら観照し続ける。


すると、思考の鍋が空っぽになる。


現代人にとって即効的であり、
同時に痛みや不透明感も明るみに出るので浄化される。




私は、ダイアモンド・ロゴス・ティーティングスと言う
ワークに出会って、そこで行われる最初の
 5つのラティーフのプロセスは素晴らしく的を得ていると思った。


who is in のように、自己を探求するエクササイズは
インクワイアリーを使う。


しかし、こちらのガイダンスは禅よりも親切である。


心理学的な講義があり、段階的に不純物を取り除いてくれる
セラピュティックな側面がある。


私たちは、この社会で生き抜くために
自分を檻に閉じ込めた。


本来備わった能力を最低限にセットし、
自分につながる扉を封じ込めたのである。


Who is in 瞑想にも
セラピュティックな要素が無いわけではない。


実際、あるのだ。


しかし、こちらは、理的な理解が促されたりしない。
そこがミソである。


強烈な光とトラウマを超越した理解が起こる可能性が
奪われないように構成されている。


もちろん、公案に向かっている人が何を見たいかによるが、

自分が真実であるかどうか、
強烈に映し出される体験をするのは間違いない。


自分への旅は、真理を求める探求者の旅である。
そして、この旅は我が家へ帰る旅である。


その入り口でさえ、甘露で芳しい。





3.12.2016

Point of light 続き





まずは、Facebook にコメントした内容を記述。
ブログにも残しておきたい。

そして、ブログの方は、その後に、更に続く。



--- Facebookのコメント---

簡単な話にすると、point of light という乗り物に乗って私たちは旅をする。
産まれる前は Abusolute 絶対的なフィールド、ピュアーアウェアネスであった。

その 境界と制限のない oneness から切り離され、
point of light は物質界に精神を持つ魂と呼ばれる個の存在となる。
この精神は無知から知識、知識から知恵と成長することができる。

個となった存在はこの星で集団的に "何か" をやり遂げようとする。
個のクリエイティビティ、マス (集団) のクリエイティビティ。

ある意味、自分を証明しようとする。

そこに、point of light に備わった本質的な要素、愛、共感、意志、力強さ、喜び、
継続性、想像力、創造力、沈黙、慈悲、などといったツールがある。

しかし、個がマス(集団)になった時、道徳、比較、罪の意識、
恥などが新たに生まれた。

証明はこれらからいかに逃れることができるかに置き換わる。
そして、本質的要素はこれらの新しい制限的意識に乗っ取られ、忘れ去れてしまう。

DLT は、どのようにしてそれを失ったか? 失ったものは何か? 
本来の自分の個性を発掘する。

個であり、それぞれがユニークな質を持つ個であり、
なぜ、この世に生まれ落ちたのかの意味を知る。

どうも、個には目的があるようだ。

だけど、目的はエゴの知り得るところではないよ。
エゴは point of light に仕えることで目的を思い出す。

私が思うに、自分が楽しいと思えるなら、正しい道の上にいるってことさ。
辛くて苦しいなら、スーパーエゴ(制限的意識)に乗っ取られているわけさ。

で、個がパーソナリティやエニアグラムの fixzation であればあるほど、
俗世界のドメインにマニフェストしている。

個が、point of light に身を委ねると本質的要素の体験として続く。

ここまで書くと思ったのは、point of light は絶対なるものから生まれ、
"情報収集する何か" ではないかと思えてくる。

その何かとは、point が個であれば、光の個。
個はパッセージ(移動、通過、出入り口)で、
パッセンジャー(乗客)でもある。

物質世界を体験する旅に出た "光の個" 。
そして、いずれ、絶対なるものへ帰っていく。

科学的に考えると、パッセンジャーは情報収集する、
量子的な微細界によって成り立つ宇宙という生き物の
神経系的な役割を果たしているとか、ははは、飛躍しすぎ?

まぁ、例え、それがセオリーであっても、
個 (個人) としてマチュア (成熟) にマニフェスト (生きる) できるまで、色々あるわさ。

中国にいた時、こんな話を聞いたよ。
現在に生まれてくる子供はインディゴチャイルドって呼ばれるんだって。

私たちよりすでに高度な頭脳と身体能力があるらしい。
つぅことは、収集された情報は新しい新人類、
バージョンアップした光の個を生み出してるってことでないかい?

 ---Facebook のコメント 終わり ---




ここまでは、Facebook のコメントで書いた内容。

続きがある。

上記のような話は何処かで聞いたことがある話であり、
point of light を受けに来た私にとってさほど重要ではない。
リトリートで耳にした内容に私がコメントを入れた具合である。

私はこのリトリートの2日目に興奮した。
それは何か? ここが、私にとって非常に重要なのだ。

"Absolute 絶対的なもの" から生まれたとすると、それは自分の外にあり、
再び、そこにたどり着く旅をしなければばらない。

宇宙は外にある、神さまも自分と一体ではなく誰か自分以外の存在、
無は私たちの周りにあるが無が私たちの実態であると表現しない。
上記を言葉のまま鵜呑みにするとそういうイメージが払拭されない。

私の興奮は、ある瞬間、それが起こったんだ、
私が無であり、無が私である。

それを宇宙と呼ぼうが、神と呼ぼうが構いはしない。
衝撃的だった一瞬の出来事。

しばらく、それを言葉に置き換えられなかった。
何が起こったのか、分からなかったからである。

探していたものは外になく、この "生身の私" だった。

私はこれまでに、どうも、
イメージを追い掛けていたようだ。

そして、これは違う、これも違う、
あんなどでかいもんが私にコンタクトするはずがない、
半ば、諦めな振る舞いだ。

私にそれが起こるわけはない、私なんかに…。

私は、私のイメージの中でそれを探していた。
イメージは頭の中にある。

looking thing in the wrong place とはこの事。




今日、玄関周りの植木の枝を切っていた。

春や初夏になって新しい芽が出やすいように。

私は至って穏やかで、瞬間瞬間の作業に専念できた。

私が無であり、無が私であった。

私は目を瞑ると自分がどんどんシフトしていくのが感じられる。

開いた扉は開いたまま。









3.11.2016

ファイナリー、point of light

point of light について記述しようと思うのだけど、何をどう書けば良いのか、まだ、私の中でクリアーではない。今回のリトリートはこの point of light につてである。まぁ、分かっている事だけ書いてみよう。

何故、クリアーでないのかと言うと、point of light は色んな形で体験できるという "代物" だという。異なる形で体の内側、外側に。そして、point of light はとても重要なpassage なんだって。ここで言う passage ってどういう意味? と私は考えている。

passageを直訳すると、通行、通過、移動、通路、経路、出口/入り口、旅、乗車、流れ、進行/進展、移行、伝達などなどで、進む/渡る/通過する、と理解すればいいと思う。

point of light はとても重要なpassage 、point of lightは、ひとつのダイメンションから他のダイメンションへ、ひとつのドメインから他のドメインへ、ひとつのリアリティから他のリアリティへ、と言った具合に。

私たちは、自分の True Self 、True nature、True Spul を探し求めさまよっている、幼い頃、それを失ったその時点から…。そして、代償となるものを見つけその痛みを最小限に抑えようと試みる。

例えば、エニアグラム1番だと、パーフェクションを遂行する行為そのものがいずれ自分を取り戻す事が出来るかもしれないと考える。1番の fixation だね。このパーフェクションは、point of light のひとつの様相であり、エゴがそれ自体の方法で point of light に近づこうと試みるわけさ。私たちは point of light を自分の中の記憶として覚えているからさ。

 エゴが考えるパーフェクションと、point of light のパーフェクションは根本的に違うんだろうね、きっと。point of light はパッセージだから、エゴ・コンシャスネスからエッセンシャル・コンシャスネスに移動することができる。

エゴは point of light を探し求める、エゴは探求し初める Who am I ?   What my true self ?  

もともと、エゴはこのように point of light の仕えていたわけさ。だから、エゴは世俗で生きながらえることが出来ている。エゴは、パーフェクションに仕えることができ、エゴはラブに仕えることができる。エゴは Being に仕えるのさ。

ただ、パーフェクションやラブの影 (シャドー) を追いかけるようになってしまうと失敗に終わるってのは前にも書いたね。DLT ではインクワイアリーを使ってこのシャドーを見ていくんだよ。どんな ホール (穴) があってどんな投影が起こっているか、何故、失敗するのかを知ることができる。

エゴは、防御や逃避したり、調整や固定したり、否定や拒絶したり、悪いエゴから理想的なエゴへ変えようと試みるが失敗する。投影 (シャドー) の中でそれをトライするから。言えば、オンリー、エゴ・ドメインの中でのハッスルである。

私たちは、少し方向を変えてみるといい。マテリアルな世界からエッセンシャルな世界へ視線を変える。すると、この試みは飛躍的な試みに変わる。私たちは成長し、拡張する。そこに、自分を変えようとする試みがなく、ただ、事実を受け止めているにすぎない。過ぎないと言ったら心許ないが、最大級の振る舞いである。この要注意なパッセージが、私自身を見つけ出してくれる、とても、リッチで尊い存在を。

Point of light の教えは 個々の Soul がそれぞれのユニークネスを見出すサポートする事にある。私の祝福、私のクリエイティビティ、個々のSoul がこの世界にシェアーしに来たのだ。役割分担、共有、おすそ分け、参加、しに来たのだ。健全で間違いのない Point of light に敬意を持って。それは、あなたが住んでいる王国の、存在からのギフトである。

無意識にこの王国を探し求めてはいるが、それが見つかるまで、私たちは幸福と感じることができずにいる。

静寂はこの王国の所有者である。だけど、私たちがそれを探し求める時、何かの興味をそそるアトラクション (シャドー) の中で探している。何度も何度も失敗する。シャドーを追うことは間違った場所で正しいものを探しているに過ぎないからだ。ゆらゆら動く蜃気楼を追っている。

チャイナク・エッション(誰かが先生に質問する) : あなたは、エゴが Point of light に仕えると言いました。エゴは スパーエゴにも仕えます、何が違うんですか? 

------ スパーエゴに仕えると、あなたは自分を失い絶望感か、または、反逆児になる。エゴが、Point of light に仕えると、あなたは軽さや、喜びが体験される。エゴは、外側からの要求を満たそうとする、親の要求、社会的な要求、道徳的な要求を。だから、失敗する。エゴが Point of light に向くということは、あなた自身の光に従う事になる。故に、ここで Point of light を考察していくプロセスで多くのイシューが浮かび上がってくる。エゴ観点からのイシューは恐ろしくて取り掛かりにくい。Point of light の観点からのイシューは、あなたにリソースがあり、「オッケー、じゃ、次のイシューは何?」と、興味を持って解決しようというポジティブな意欲がある。開いてほしいなぁと言う切望ではなく、ジャンプが起こる。------

ワークはこのようにされる。エゴとスパーエゴを切りなす。あなたと他者の真実へ。シャドーから光 (真実) へ。影を見ず、影を投射する太陽に向き直る。太そして、陽の後ろには常に果てしないものがある。

私たちはどの様にそれに仕えることが出来る? どう、具体化することができる? 

エゴを正しく育て、正しい道に乗せてあげる。エゴを悪いものと捉えない。エゴに Soul のタスク (仕事、任務) を提案する。それは、私が誰かが?と言う問いに大いに関わっている。

------ Point of light とは?

時には、ルミノシティー (聡明、真光度) として体験される。Soul(魂)、Spirits(精神)、光の輝き (inner star) 、True Nature ( more being)、True self (Soul) Traverer in eternal in incarnate time and space (本当の自分、肉体化された時間と空間の中で永遠に旅をする)、re-incarnate entity (肉体化された存在)、eternal youth (永遠の若者/古くても若々しく) 、スパイダー of Existance (生を紡いていくから、ステーションを紡ぎ学ぶ)、 Lord of being (存在の主) などなど。

Point of light は 沢山の姿となって現れ、沢山の名前を持つ。沢山の側面があり、神、マテリアル、アクション、ひとつのライフから他のライフへ移る。

これらのパッケージ になった Point of light は個々の目的とライフを教える。

何故か、胸の奥がチクッて痛い経験をしたことが誰にもあると思うんですが、それは古い古い痛みだそうです。

ここまで書いて、果たして、私は Point of light を理解しているかさだかではありませんが、自分の確かな体験と照らし合わせいている最中です。

こんな感じ?

 *・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・



3.09.2016

トリニティ - レクチャーから

忘れる前に覚えていることを記述しておかないと…、それに、ノートは当てにならない。文字は時間が経つと inspire が消えて無くなる。つまり、霊感に導かれた部分。

Point of light で沢山のことを聞いた。ここに書こうとするのはその一部でしかなく、DLT の全貌は見えないけど、まぁ、ぼちぼち行くか。

まずは Trinity (3)  について。キリスト教ではそれを三位一体と言うね。DLT て言うところの Trinity と同じ意味合いかは分からんけど。

DLT では、Law of 3 (3つの法則)、Principle of 3 としている。私達はそれを知らない、気にもせず過ごしている、例えば、重力のようにそこに確実にあるもの。この3つの法則が客観性、具体性を与えてくれる。うん、理的な理解は物凄くウェルカムだ‼︎

で、今、ノートを見直している… 
乱雑すぎる ( ̄▽ ̄;)  

オーガナイザーがレクチャーをレコーディングしてくれているので後で聞き取れるから良いものの、まぁ、覚えていることを記述しよう! ははは

最初に、3つの Self がある事を理解しておこう。

1. Being 存在、実在、絶対的存在
2. Soul ( individual self ) 精神、魂、動因、原動力、物事の精髄   * point of light はここに属す
3. Ego ( worldly self ) 自我、自身、主観

そして、そのそれぞれが属する領域がある。

1. Absolute 純然たるもの、絶対的なもの
2. Essential 本質的資質、不可欠の要素、中心的要素
3. World この世的俗世界

理論上、3つに分けられているけど、これらが1つの中にあると分かっている必要がある。1つの中にあるというのもなんだな、それぞれがバラバラに聞こえるから、言い直して、1つの存在の幾つかの側面を理的に言葉で表していると言った方が正しいと思う。でなければ、どれもこれも断片になってしまう。私は今回のリトリートでそこに至ったんだ (o^^o)  

仏教で言うと曼荼羅、そうかな?  仏の本質であり、また、宇宙観であり、即ち、内的な、または、その個人のランドスケープとでも言おうか?

DLT ではそれをダイアモンド・ボディーと呼ぶよ。何故かと言うと、そのあらゆる面がそれぞれの状況や状態、内容、外部の状態と内容によって色んな輝きを発すると言う例え、ここにキラキラ感がある。つまり、私達はとてもゴージャスなダイアモンドであるらしい。だから、光を投影し、またその光を放つために磨かれるのを待っているのだ。

ちなみに3つの領域については、私はクラニオ・バイオ・ダイナミクスのティーチャーである、この Trinity にはつくづく納得させられてしまった。クラニオバイオの世界にも3つの領域がある。CRI / mid tide / long tide である。CRI はもっとも物質的な運動、mid tide は生命固有の潜在力、long tide は個やもっと大きな存在のマトリックスである。なんか、私は凄いことをやってのけているじゃないかと、じんわり感動するではないか。

さて、続けていこう! 
--- 3つのドメイン(領域)

1. Worldly Domain
私たち人間がめっちゃ "ねんごろ (積極的に絡まっている) " になっているところ (笑。  このドメインにはエゴが必須である。エゴがなければ俗世界で生きていけない。パーソナリティとエゴが機能している。エゴが機能すればするほど上手く行く世界である。この世界は物質的世界であり、パワーやファミリーカインドが支配している。ほとんどの私たちがこの世界のみに従事している。

例え、精髄を求めたとしても、エゴの範囲でしかない。関係性、パワー、マネー、成功、エトセトラ。だけど、満たされることはない。底の抜けた壺。

2. Essential Domain
この世界はエッセンスと呼ばれる。本質的資質のことだ。ほとんどの私たちはこれに気づいていない、でも、感じている。愛、喜び、などを通して。でも、それがどこからやってくるのかは知らずにいる。これはスピリチュアルな旅である。

アクシデンタルにそれを体験する。その体験をまた取り戻したいとエゴが欲して物質的感覚の中で再現しようとし失敗する。

3. Absolute Domain
ベーシックなシンプリシティー ( 基本的単純世界) 。個人的ではないもの。私たちの基盤。エッセンスがやってくるところ。存在の本質、Ocean (大海) 。

人間はこの3つのドメインを持ち合わせている。そして、それぞれがマニフェストされる。が、気づけない、知りえないでいる。

続いて …
--- 3つの Teachings

1. World Teachings
物質的な世界観の中での学び、知識。世界について、知ろうとする、学ぼうとする、パーソナリティやエゴについても。

2. Essential Teachings
エソテリック (秘技的) な教え。このような教えはそのほとんどが隠されている。探求者のみがそれを見つけ出すことができる。(point of light のティーチングは別の時に記述する)
 
3. Absolute Teachings
ベーシック・ネイチャー。本性、絶対的存在。Oneness について。

続いて …
--- 3つの Identity

1. World Identity
俗世界の中のエゴ・アイデンティティ。エゴがあればあるほど自分を表現できる、気づいてもらえる。俗世界の中で生き抜く術がここにある。

2. Essential Identity
もっと魂に根づいている。本質的資質に根づいている。このアイデンティティは俗世界にも、アブソリュート界にも移動することができる。

point of light はこの領域に存在する。存在するなんて言ったら、自分とは別個の何かみたいな表現だけどそうではない。point of light は、私の理解ではマニフェストの姿と捉える。以前にも point of light は色んな形で現れるから色んな名前がついていると書いた。ファイサルはこの呼び名にしっくりきていないらしい、が、他にいい名前がないのでとりあえずそう呼んでいる。

3. Absolute Identity
魂の潜在力。沈黙な質を与えてくれる。世界というよりは大海。"あなた" ではなく、ピュア・アウェアネス。フォームレス (家無し) じゃないよ、形が無い方 (笑。限界が無い。セルフと言う感覚がない。だから、アイデンティティとは呼ばない。

続いて…
--- 3つの Consciousness

1. World Consciousness
ある種の意識、制限を受ける、エゴによって束縛されている。駆り立てられる、悲しみ、怒り、熱い、冷たい、ミニマム。

この意識は啓発し育てることができる。ビジネスマンは啓発 (より高い認識・理解に導く) しながら成功を収める、ってな感じで。エゴ・コンシャスは育てることができ、集中させる事ができる。

2. Essential Consciousness
さらに、展開的、進化した導きの意識。もっとパノラマティック。ダイメンショナルな意識で、感情と感覚、深い感情などをつなぎ合わせる。DLT では、ダイアモンド・コンシャスネスと呼んでいるらしい。

ダイアモンドなパーソナル・コンシャスネスらしい。もっと洗練された意識。すべての様相がつながり合う。ダイアモンドのすべての側面が1つになる。ダイアモンド・ボディのガイダンスが展開される。

3. Absolute Consciousness
これは意識のオープン・フィールド。絶対的なピュア・アウェアネス。このアウェアネスがマニフェストすると "あなたは家に入った" と表現される。Wisdom と共に在る。

Absolute is pure awareness, Domain is more personal consciousness.

続いて…
--- 3つの Quest of Humanity

1. World Quest
どうしたら関係をうまくもつ事ができる? どのように愛する? どのように共同できる?

2. Essential Quest
私たちは自分が何者か知りたい、精神、生命、神とは何か?  私は誰か? 

3. Absolute Quest
私はどこから来た? そこに帰還したい、帰還するとは? 絶対的なものとは?

------ 

まぁ、取り敢えず、今日はここまで。かなりはしょって書いた。そして、先生は言った。アブソリュートからスタートしなさいと。そこにアウェアネスがある。例え、そこからスタートしてもイシューは浮かび上がってくる。でも、アブソリュートからスタートしなさい。俗世界からスタートしたら、エゴが作り出した偽りか、影を追い続けることになる。

ちなみに、クラニオバイオでも同じである。long Tide からスタートする。何故なら、long Tide は mid tide も CRI もその中に存在させ、映し出しているからである。long Tide から、大きな領域から、眺めると、正しく投影するできる。何故なら、介入しない、巻き込まれない、の立場だから。

私はこのレクチャーを受けている間、すべてが自分の中にあり、展開されていると分かった。以前は、そんな話を聞いても頭の中の想像で、実際の感覚はなかった。でも、今回は違う。扉が開いたのだ。これまでに受けた5つのラティファのプロセスが機能している。あれがなければ、ここにつながらない。

開いた扉はアブソリュートに降りていく真っ暗な階段のようにも見える。私はその扉を開けたままにしておく事にしよう。アブソリュートからの風通しが良いように。絶対的なものから本質的要素と俗世界が merge するように。 





泥が沈み始めた

ひとつ前のブログで、マテリアル・ドメイン、エッセンシャル・ドメイン、アブソリュート・ドメインについて書いた。中国で受けたDLT の point of light の先生が言ったよ、精神世界の教えは本当にシークレットで知りたくても一般人がそれを見つけ出すことは出来ない。今でこそ、色んなワークショップが開催され、その一片を垣間見ることができても、本当のところ、確信にたどり着くのは難しいね。ほとんどのワークが一部の側面を拾い上げて、核心ではなく、確信に結びつけようとしている。

ダイアモンドロゴス・ティーチングは知ることのできないシークレットな教え (秘儀) が展開されていると先生が言ったよ、私もそう思う。だから、まだパーツがはまってないサニヤシンにお勧めする。サニヤシンでなくても、自分の何かが欠けていると感じている沢山の人にお勧めする。個のインテグレーション・プロセスである。禅的に言うところの 円 になって完結するプロセスである。

ダイアモンドロゴスは現代心理学と古典的精神世界の教えがうまく統合されている、現代人の私達に当てはまるようにプログラムされたワークプロセスである。まったくの一般人であった私に縁がない光明、ラッキーかな和尚を見て知った。そして、知ってか知らずか、すべての人がそれを欲している。もちろん、エゴのレベルでないよ。

ダイアモンドロゴスの古典的精神世界の教えは、中近東のスーフィズムと、仏教、それが上手く機能している。そして、このメソッドの教祖であるファイサル (ダイアモンドロゴス・ティーチングス) とアルマース (ダイアモンド・アプローチ) はクエート人である。故に、その教えの中で日本人が聞いたことのない中近東辺りの秘儀を知ることができる。

最初、何だか、きらきらした世界観でついていけないかも、と私は思っていた。例えば、ダイアモンド・ボディとか、ポイントオブライトとか、ジュエル (宝石) とか、シャンデリアとか、城壁とか、って単語がバンバン出てくる。ははは (⌒▽⌒;)

でも、レクチャーを聞いているとそれはスーフィズム的な例えであって、分かってくると悪くない。私はふわふわした訳の分からないもんは嫌いである。キラキラしているなら、そのキラキラが何かの形で証明されなければならない。筋が通っていて、理屈が通らなければ信じるに値しないと考える人なのだ。ここにエニアグラム7番と言われる者のfixation がある、もしかして、5番的かな? とにかく、私はそうである。 

話を戻して、香港にいる時はまだ、水の中の泥が鎮まりきれていず、頭の中をまとめたいのにまとまらず、ただボンヤリと観光しているしかなかった。

香港から成田行きの飛行機に乗った途端に頭が回転し始め、インテレクチャルなレクチャーから3つのドメインについて詳細を書き込んでいこうと思ったんだ、でも、ここまで書いて、ブログの文章があまり長いと良くないと気がつき、一旦、ここで切る。ははは〜。



3.08.2016

興奮のもとになったのは

香港を経つ。今、成田行きの飛行機に乗ったところ。point of light の情報量が多く、まだまだ、settling してない、何がどうなのか、自分に言い聞かせるために記述したい衝動がずーっとあって、ここでやっと頭を使おうと思う。

リトリートの2日目、私はかなり興奮した。何故か? 私の今ある状態は和尚がいたプネー時代から続く。和尚が body を離れ、マテリアルな世界からマスターが姿を消した。すると、自力で登っていかなければならい。あの時点では、和尚の臨在が、まったく私の努力なしに、高い高いところに引き上げてくれていた。

和尚を知る前の私、和尚と共に過ごしたプネー時代の私、和尚が消えてからのプネー時代の私、マテリアルな世界に戻ってきた現在の私。

マテリアル・ワールドは楽しい、楽しんでいるけど、これでいいのか? っと言う疑問はいつもある。ひょっとしたら、私は何かを諦めたのか?  もちろん、これまでに積み重ねてきた努力の結果 (努力したよ)、人生は明るく豊かなんだけど、何かを脇に置いたままにしている感が常にある。それは、いつか、最終的に取り掛かるものとして。

だからね、自分が不確かなんだ。ここんところ、説明するのは難しいんだけど、 きっと、サニヤシン、分かるかもしれない ?

いつか、最終的に取り掛かるっていつ? 取り掛かるって、何に? どの程度だと、取り掛かっていて、どこからが、まじ逝ってる? Absolute (絶対、もしくは絶対的な存在) と、このマテリアルな世界をどう行き来するの?  私はどの地点まで近づけたの? それともまったく近づけてないの? たくさんワークされて人生、楽になったさ、でも、この調子で進んでいけばいいの? 私は本当に逝けるの?

その答えが point of light の2日目にやってきたんだ。そりゃ、興奮したさぁ (o^^o)  

日本的、仏教的な考えで、修行の末、そこに辿り着くんだと。同時に、スピリチュアルな教えや科学的な考えから、私たちは生まれる前にそこに属していたとも聞いた。一般的によく聞く話だね。まぁ、そういう話を総合して、信じてんだか、信じてないんだか、一定の理解に結びつけようとしていたんだけどもね。

ダイアモンドロゴスの教えもそこからかけ離れていないんだけど、このコースで私の何かが弾けだんだ。DLT ではこう描写するよ。3つのドメインがあって、1つはマテリアル・ドメイン、1つはエッセンシャル・ドメイン、1つは アブソリュート・ドメイン。ドメインとは領域のこと。

マテリアルはこの実質的世界、思考、感情の世界。エッセンシャルは本質的要素な世界。アブソリュートは、すべてを映し出すスクリーンと言うか、絶対的なものと言うか…

そして、これもよく聞く話だけど、私たちはこのどれにも属している。と、同時に私たちはこのすべてであり、決して fragment 破片ではない。

それで、私が落ちたのは、超超めっちゃラッキーであれば、「いつか、oneness が体験できるのか ⁉︎ 」という考え自体が根本的に間違っていると知ったこと。この考えこそが、いつか、最終的に取り掛かれると言う希望と期待に刷り変えられ、そんでもって、それが期待である限り、失望が待ち受けているってわけさ。だから、いつまで経っても取りかかれないんだ。失望があるって知っているから。

だって、oneness って知らないけど、知らないなりに、多分こうじゃないの? ってイメージがあるからそれ以外は oneness じゃないと思い込んでいる。エゴ・ドメイン的な形で。DLT で言うところの looking for the thing in the wrong place  ってやつさ。すると、いつも失敗に終わるんだってさ、間違った場所で見つけ出そうとしているから。

マテリアル・ドメインは分かる。日常生活そのものだからね、それに私は思考のエキスパートさ。エッセンシャル・ドメインも分からないことはない、喜びとか、嬉しさとか、パワーとか、その他の体験的な様相として、じゃ、アブソリュート・ドメインは? ここが問題。

私はそれをめっちゃ特別なものとして、めっちゃ手が届かないものだと考えている。遥か彼方のギャーテイ、ギャーテイ。エンライトした人だけが味わえるものとして。これもイメージだね。間違ったイメージを持ち続けていたよ。

じゃなく、私はアブソリュートに蓋 (イメージで) をしているだけと分かったんだ。イメージはあくまでもイメージで、そんなものは私の中に無いんだと思い込んでいたよ。例え、あるって聞いたとしてもね。信じる、信じないの以前に、そんなこと、一般的な架空の話としていたんだ。

Point of light の2日目に、私たちは無意識にも、マテリアル・ドメイン、エッセンシャル・ドメイン、アブソリュート・ドメインを行ったり来たりしていると耳にした時、私の中にある鍵穴に鍵が入ってカチッとなった、パズルの最後のピースがはまった、最後に取り掛かるはずの何かが取り去られたんだ。ベールが取れたとも言っていい、その時、この3つに境界が無いと知った。

アブソリュートはギャーテイ、ギャーテイではなく、今ここに在る。今、私はルンルン気分である。気分と言えば、マテリアル・ドメインかもしれない、同時にある至福的体験はエッセンシャル・ドメインかもしれない、そして、その下に静かな沈黙が在ることに気づいている、これがアブソリュート・ドメインだ。

私はこの3つを体験し、内面で展開させている。内面と言っても、外側/内側なんて無い。私はただ、イメージを落とせばいい。あとは、浮き上がった泥がゆっくりと落ちていくのを見ているだけ。

でね、そのレクチャーの後にインクワイアリーがあって、その時に浮かんだイメージ (笑 が笑える。

マテリアル・ドメインで、必死に (笑 、遊びに夢中になっている (笑  リトル・コマラギータが、遊びの中で身を滅ぼさないように、しっかり、アブソリュートに首根っこをつかまれていて、しまいには、「もーええやろ!」って!

『ん?』



3.07.2016

ノートブック

香港で目覚めた朝、なかなかアクションが起こせない。とはいえ、だらだらと過ごさないように、何とか、シャワーを浴びた。体がめっちゃ怠い。point of light のインテンシティから離れ、大容量のインフォメーションが水の中に舞い上がった泥のように、なかなか地に落ちてくれず、静かに待つしかないようだ。それだけ、興奮してたんだね。

何に興奮していたのか思い起こそうと、2冊にわたって書きなぐった文字を見ようとするにも、どこの何を見たらいいのかわからないぐらいの書きなぐり方、ははは。猛スピードで書いたよ、それでもついていけなかった、英語ってものあるし、時々、先生の声と、私の思考と、同時にやってくるから、ノートが文字なのか、絵なのか状態になっているところもある......

まぁ、でも、幾つかの層に渡って確実に受け取ったものがある。それが落ち着くのを体が待っている感じ。そんな朝だね…



大容量で参った!

初日に、インテレクチャルなレクチャーがないから物足りん!っと偉そうなことを言った私が恥ずかしい。Point of light はエニアグラム 7番の私でもこなし切れないくらい大容量のインフォメーション、まぁ、こなしきれると言う浅はかなアイディアが有るだけなんだけど (笑 

今日、このグループで最後のインクワイアリーの相手 エニアグラム 4 番のヤングチャイニーズメンは、情報量が多すぎてクラクラして気分が悪くなったと言っていたよ。

彼は、自分はエモーショナルタイプだからハートで受け取るのでインテレクチャルは頭に入らないんだって。で、ハートで受け取るにもオーバーウェルミンだそうです。私と異なるセンソリーでも、こなし切れない情報量だって。

それほど、いっぱい、いっぱいの内容。この多くの情報の中で、自分がどこで引っかかるか、引っかかったら、見逃さずにさっさと受け入れてしまうのが早い道だと分かった。

今回のこのクラスは、みんな自分がエニアグラムのどのナンバーかクリアーに知っていたよ。だから、理解が早いし、個人的に何をどう受け取ればいいか素早く察知してどんどん入っていってたね、ほんと、凄いと思った。

まず、この先生がエニアグラムのティチャーだってことが強み。ダイアモンドロゴスのプロセスにエニアグラムは欠かせない。エゴ心理学だからね。で、おかげさまで、私もエニアグラムがもっと分かり始めてきた。エニアグラムだけのワークだったら限界があるんだと思うけど、ダイアモンドロゴスと一緒にプロセスすると最強 ‼︎



3.06.2016

とんでもない事が起こったよ

DLT の point of light 3日目の午前中にとんでもない事が起こった! 

リトリートは毎朝、チャンティングの後に30分ぐらいだろうか、静かに座っている。そして、今日はそのすぐ後にトランスミッションと呼ばれるガイダンス瞑想があった。DLT で言うところの point of light が 自分と一体化? するような内容だと思うんだけど、途中から全く先生の声は聞こえていない。

と言うのも、中国に来る前、クラニオバイオのコースでファイシャルダイナミクスを終えたばかり。チャンティングの後に目をつぶって静かに座っていた時点で、私は自分の頭の中の硬膜と篩骨の運動を手も触れずに追っていたんだ。篩骨の動き、肩の緊張、あっ、今、均衡状態、あっ、緩んだ! ってな感じで。

そのまま、トランスミッションに入って行ったんだけど、先生のガンダンスに従って point of light が頭上に来た時、point of light が私を体から引っ張り出そうとするんだ。最初は優しく、そして、首のちょうど緊張のあるあたりが微妙に捻れ始め、いきなり、産道からの出産体制に入り、母の感情や出産の苦悩やらが一気に流れ込んできたよ。

で、何んとか、生まれ落ちたんだけど、母の苦悩から自由になりたくて早くへその緒を切り離して欲しいと言う思いが強くなっていくんだ、どうしようもなく、そうこうしているうちに、また、いきなり、へその緒が引っ張られて猛スピードで子宮に引き戻され、それでも、へその緒は私をさらに引っ張り戻し続け、子宮から宇宙へ、宇宙から絶対なるものに引き戻したよ。そこが、私がへその緒でつながっている最終地みたく。私は戻されて「わぁ〜ん」って泣いてたよ。

私はまだ苦痛の中にいて、絶対なるものであろうが、なかろうが、早くへその緒を切って欲しいと願っていたよ。何にも束縛されず、誰の配下でもなく「早く自由にしてー!」って泣いてたよ。

へその緒が切れたかどうか分からないが、何だか、成人した自分サイズになった。

そんな体験んをしているうちにトランスミッションが終わり、みんなのシェアリングに入って行った。多くの人が美しい体験のシェアーだったんだけど、それを聞いているのが辛く、だんだん、自分がめっちゃ繊細な状態にあり、この場に居たくないんだとわかった。

その後は散々で、説明できないけど、あえて言うなら、皮を剥ぎ取られたウサギな状態。疲れ果てて、眠たくて、眠たくて、お昼休憩に入り、自分の部屋で少し眠ったはいいけど、午後の集まりのために起きても体は痺れたまま。

何だったんだろう?? 

午後も終わりかけ始め、チャイニーズ達の明るくて愉快なフレンドリーさに包まれ、ようやく自分を取り戻す事ができてよかった。



3.05.2016

エゴを上手に育てあげる

さぁて、point of light の2日目で、もう大満足してしまったさ。あと2日もあるのが信じられない。私は すでに ready to go the market place なのだ o(`ω´ )o  

でも、これを読んでいる人には、何がそんなに ready なの? と思うだろうから、ちょっとだけ説明してやってもいいよ (笑  レクチャーの内容をそのまま話してもプロセスが抜けてピンとこん人もいるだろうから、はしょってね。

Point of light はあらゆる形で体験する事ができる。体の内側、外側に。それ故、色んな呼び方ができる。まぁ、沢山の名前を持っていると言うわけさ。それは、私が習った5つのラティファのような質物 (本質的要素) ではないんだ。本質的要素ってのは例えば、love とか、will とか、power とか。

Point of light は色んな形で体験できる、色んな形で現れるからたくさん名前を持っている、が、それはあえてここで書かないことにしよう。沢山ありすぎてぶっ飛んでしまうよ。

ただ、重要な理解は、私たちは常に完全なるものを求めている、そして、エゴが、私は誰か? who I am ?  と探求し始める。

完全なるものは答えない。

しかし、エゴは soul を体験することはできる。だから、 soul に仕えるわけさ。そして、soul が持っている本質的要素を現実化しようとするわけさ。だけど! それは体験を再体験させようと言うエゴの試みだから、リアルではないわけさ。

例えば、エゴはどこかの時点でlove を体験した。もう一度その体験を取り戻したい。で、love を真似てみる。本物じゃないからフラストレートするでしょ、でも、なんとか試みようとする。自分を変えようとしたり、fixしようとしたり、でも、エゴ自体は変える事ができない、だってエゴはエゴだから。

エゴは初めは、soul に仕えていたはずなのに、しまいには shadow (物真似) に仕えるように落ちぶれてしまうのさ。で、私たちは 「自分が誰か? 」を探求するけど、shadow の中での探求だから、いつも失敗に終わってしまうわけさ、だろ? looking for the thing in the wrong place ってやつさ。失敗しては shadow を追い、また失敗しては shadow を追い、っといった具合に。

出来ることはただ1つ。エゴを正しい道に乗せてあげることさ。エゴを上手に育ててあげて soul のタスクへ向けるわけさ。

あのね、今日のレクチャーが余りに盛り沢山だったのでここまで書いて悪いんだけど、もう、寝る。この後のレクチャーで私はぶっ飛んだんだけどね。(o^^o)  お休み〜



3.04.2016

Point of light 興奮の second day !!!!!

先ほど、昼食を終えて自分の部屋に戻ってきた。この午前中に、私が望んでいたインテレクチャルな ! レクチャーがあった。同時に、昨夜、もう一人の日本人参加者ハンニャがやってきたので精神的にホッとしている私もいる。彼女はこの先生について5年ほどワークしているし、中国語も堪能なので心強い。

さぁて、point of light の姿がうっすらだけど見え始めてきた…もちろん、インテレクチャルにだけど (ぷっ)…思考的理解が無いと満足感に欠ける私がいるのよ (^_^;)

昨日に引き続き、驚きは、先生がそのめっちゃinterestingなレクチャーをほんの10分から15分程度しただけで、チャイニーズ達の反応が凄かった (私も興奮してたんだけどね) で、そのままみんなが興奮しちゃってシェアリングに突入、それも、チャイニーズなシェアーってのが、自動的に究極理解にジャンプして自己完結するのが凄い。

ちょっとした休憩時間に先生にその事を伝えると、先生自身もびっくりしたらしい。本当にマチュアな奴らだ。とは言え、私はまだまだインテレクチャルな話が聞きたいと、ちゃっかり先生に伝えておいた。すると、休憩の後、はははは…先生は私のマインドにこれでもかぁ〜っという程の分量でレクチャーしてくれた、それも、期待をはるかに超えた内容、 出来るものなら皆んなに聞かせてあげたい!

ああ、私の知りうるサニヤシンの友人達よ! きっと、あなたも私のように興奮するに違いない!!

和尚が出来なかったインディビジュアルなワークがここにある。あなたがどーしても知りえなかった事がここにある、そう、その通り、私は受け取った‼︎

ってか、いいのか? そう言い切っても (o^^o;)  私は本当にその可能性が大きく見えたんだ、見えたというより、落ちたよ‼︎ 


ポイントオブライト in China 初日

中国で受けている DLT の the point of light 、今日が初日。どのような内容かまだ見えてこない所に少々苛立ちを覚える私がいる。

先生は今日はランディングだと言う。レクチャー無しに参加者のプロセスを促し進んでいく。エニア 7番の私にはインテレクチャルな説明がないのでなんとも言えない1日だった。取っ掛かりが分からん、と言うのが正直なところ。

「トルコの時と事情が違うぞ」チラチラ私のエゴが見え隠れする。そういった部分を確認しながら自分をアジャストするのに手間がかかりそうだと思い知らされた。

このチャイナグループ、このスペースが私にとってまだ安全だと受け取れていない。仕方がない、ここが最初の関門となる。どこで私はそれを気にしなくなるか? まぁ、見ていよう。

よく考えてみると、そのこと自体が私のプロセスの始まりかもしれない。

しかし、コース自体のインテレクチャルなレクチャーが無いとは言え、チャイニーズのシェアリングのクオリティが高いのに、正直びっくり。

その中から、今日はエニアグラムについて幾つか知ることが出来た、それが今日の収穫と言えるかもしれない。特に、エニアグラム 4番について。このグループは4番が結構いるようだ。ある意味、逆に、彼らのシェアーがこのワークの理解に結びつけてくれた。

レクチャーがなかったせいもあるかもしれんが、こう言った心理的なグループセラピーは先生やセラピストが進行させるんではなく、参加者のプロセス自体が進行の流れを作り、コース自体を進行させていくんだとハッキリと見えたし、そうであると理解した。まぁ、そりゃそうだけど、先生として絶対にその事を忘れちゃーいけないと肝に命じた私がいる。

中国の参加者は、かなりアドバンス、どんどんシェアーしまくる。ここに至るまでかなりワークされているんだろうけど、ひょっとしたら、精神について何かしらの中国伝統的理解が一般的に普及していてすでに身についているのか、とにかく、あなどれない、チャイニーズ達。


3.03.2016

香港へ

ほんのついこの間、トルコのDLTイエローから日本に戻り、成田から伊丹に飛んだあの日も快晴で富士山が綺麗だった。DLT とはダイアモンドロゴスチーティングのこと。

今日、飛行機から見た関東平野の広さにびっくりポン! 東京の仕事を終えてそのまま成田から香港へ。何しに? 再び、DLT 。 

point of light と言うコースを受けに行く。5つのラティファを終了した後に受けれるコース。トルコから、一ヶ月も経っていない。

トルコとは違う先生、中国で教えている彼も彼方良き時代のプネーで顔見知りな人物。サニヤシン、どこにいっても極めてらっしゃる(o^^o) 

中国のイミグレーションを通過するのが不安だとメールしたら、ラッキーな事に香港空港まで先生が迎えに来てくれる。

今、香港行きの飛行機の中。トルコのコースのすぐ後だからプロセス的には短く理想的、コースの内容さえ知らずに飛び込んだ。さぁて、日本に近い中国でどんな体験になるやら、お・た・の・し・み  (o^^o)