6.03.2016

アティーシャの呼吸の瞑想

「とても深くゆるんで、リラックスすることだ」アティーシャの知恵の書の中で和尚が使った言葉。クラニオバイオにそれがある。

「しがみついたり、執着したりしないこと、従うのではなく、知るのだ」と続く。私たち (クラニオバイオ) の「介入しない、巻き込まれない、ただそれ (タイドモーション) と共にある」がこれに当てはまる。

人は夜眠りに着き、やっと自分自身からも解放される。夢のない深い眠りの中では抵抗する者がいなくなる。

そして、人体には、そのすべての活動を統合する律動的で微細な波が横たわっている。クラニオバイオの施術者はこれを調律する、言わば、楽器を調律する調律師のようであり、また、この微細な波は体を体を治す力を持っている。

施術者はその力が最大限に活かされるように自らがその波に従う従事者となる。詳しくはまたの機会としてここで書くのは控える。

「とても深くゆるんで、リラックスすることだ」私はこの言葉を何度も自分に問うてみた。この言葉の中に入ってみた。最初に起こったのは、先を急ごうとする思考が私をこの問いから遠ざけようとする。次に… 体の感覚や状態に入っていく。

落ち着いて体の感覚に入っていくと、ピクピクしたり、ねじれの解放でグルンと動いたり、箇所に手を触れずとも、この問いと共にいるだけでクラニオバイオな体があった。

しばらく、心臓の音を聞いていた。先を急ごうとする思考もそこにあった。次は何? 次は何? と私を急き立てる。

「すべての現象は夢のようなものである」そう、思い出した、今回の旅の間、私はこの事に従事しておく事にしたんだ。私がここでこうしているのも、夢のようなもの?

 「とても深くゆるんで、リラックスすることだ」

これを続ける。この問いは、どんどん私を今この瞬間へと導き始める。同時に、居心地の悪さがマインドを介入させ、私を "今" から引き離そうとする。

アティーシャの瞑想について和尚が話していた。「初めてアティーシャの呼吸の瞑想に取り掛かるには、世界の苦悩よりまず自分の苦悩から始めなさい。苦悩が起こったら、それを呼吸する、苦悩を吸い、喜びを吐く」。

思考に耳を貸さないように気をつけながら、体や気持ちの居心地の悪さを呼吸で吸い込む。この後の喜びを吐く、は簡単ではない。喜びを探さなければならないと気がついた。しばらくして、感謝なら思い出すことができると分かったので感謝を吐くことにした。

しばらく、この呼吸を続ける。後で、この呼吸にはプロセスが起こると分かった。呼吸を始めてすぐ数回目の吐くで涙が出た。その数回後、とても未熟な感謝だと分かる、吐くは感謝にとって変わって「未熟な感謝をお許しください」と許しを乞うに変わった。

そして、吐くたびに、感謝と乞うは、思考へと傾いていった。どうやら、私は、本当の感謝が起こるまで、この呼吸を続けなければならないようだ。

「すべての現象は夢のようなものである」
「とても深くゆるんで、リラックスすることだ」
  そして、 アティーシャの呼吸法、この3つを続ける事にした。


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